さちの世界は死んでも廻る
文章構成力はあるのかもれないが、それ以前に心情の流れが全然描けていない。ヘンである。例えば、ほんの一秒前まで、殺伐とした殺し合いをしていたにもかかわらず、急にラブモードに切り替わるなんて、ありえないでしょ。それは設定優先で話を進めるために展開したとってつけたような感覚しか残らず、結果、登場人物は自らの感情を持たず、書き割りの物語を進めているだけの人形のようにしかみえないのである。
そんな違和感が全編に満ちており、だから物語として生きていないのである(主人公が死んでるから。というボケではなく)。読んでいて、多少エモーショナルな表現を入れ込んだシノプシスを読んでいるような感じ。作者がまだ人間を描くまでの腕がないといってしまえはそれまでなのだが、はたして作者の資質/経験だけの問題なのではないのかもしれない。それはライトノベルというジャンルの自己再生産による劣化のせいかのかもしれない。とも思うのである。
そのほかにも、主人公が不幸の連鎖を呼ぶという設定も全然機能していないとってつけたようないらないものになっており、ああ、もっと書きようがあるのになぁ。と思うのであった。
なんかボロクソに書いてしまったが、これらは作家の、そして人生の経験を積むことによって変わっていける部分でもある。がんばってほしいな、と思う。
さちの世界は死んでも廻る (ガガガ文庫 み 3-1) 著者:三日月 |
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