葉桜の季節に君を想うということ
注意! 文中に真相を示す記述があります。
事前にいろいろと云われていたので、それなりに構えて読んだせいか、必要以上には驚きはしなかった。しかし、そういうこと!? という驚きはやはり隠せない。第一、そこに至るまで語られた一級のハードボイルドミステリーを、最後の最後で叙述トリックミステリーへと変貌させる、その思いきりのよさと作者のトリックスターぶりに対しては驚きを隠せなかった。
結局、叙述トリックとは、煎じ詰めれば詐欺なのである。一歩間違えれば、なんだったんだよ! というマイナスの感想しか残らない。たとえ見事に騙したとしても、いや、見事に騙したからこそ評価が下がる。そういうこともありうるジャンルなのである。
言い換える。叙述トリックが効果を発揮するためには、真相に至る前までの物語がどれだけ魅力ある物語になっているかが重要である。仮に平凡な物語であれば、真相が明らかにされたことでおこるパラダイムシフトのインパクトは薄れてしまい、結果、小説として失敗してしまう。しかし、前半が見事であれば見事であるほど、読者の「それまでのはなんだったんだよ」という裏切られた感は強くなり、そのせいで読後の満足を削ぐことになる。
つまりは、そんな両刃の刃の上に立つ小説なのである。
で、本作。見事な前半部。そして叙述トリックによる強烈な結果。しかし見事だと思ったのは、その真相がそれまでの物語をけして否定していないということなのである。主人公がヒーロー足りえている部分はやはりヒーローであるのだ。そういうケアがあってこそ、見事な一遍となっているのだと思う。
まあ、主人公はいいとして、対するヒロインについては、ちょっと、いやかなり首を傾げないでもないが(70歳の売春婦に自分はリアリティを感じない。とゆーかドン引きするでしょ)、まあ物語への敬意に免じてそれは許すさ。
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葉桜の季節に君を想うということ 著者:歌野 晶午 |
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