アヒルと鴨のコインロッカー
※注意! 文中に作品の面白みを想像させる記述があります。
伊坂はストーリーテラーである。その巧みな語りにのり振り回され、そして見事かつ思いもよらない着地を堪能すればよいのである。ということは、これまで何度も、そして誰もが口にしていたことで、今回もまさにそのとおり。ふたつのストーリーが絡み合い、そしてひとつにまとまるときに浮かび上がる思いもよらない真実。そして「ものがたり」。まさに読書の醍醐味である。
ということは判ってもいるのだけれど、しかしながらあえて云わせてもらうとしよう。これは自分自身の問題である。自分は、ネガティブでヒネクレテイルと自覚している。そのことについてはそういうことだと思ってほしい。で、にもかかわらず、なのかもしれないし、だからこそ、なのかもしれないが、物語にはハッピーエンドを求めてしまうのである。それが多少のご都合主義であってもかまわない。悲しみの現実を突きつけられるよりはうそ臭い幸せであってほしい。そう思うのである。
だから、本作の物語の序盤から不幸(だろ?)であるヒロインとの別離、それは死別なのだろうと容易に想像できてしまう展開は、面白いのだけれど読み続けるのをよしとしたくない、そういうアンビバレンツな感情を生むことになる。結果、その予感は予想とは別の形で実現してしまうわけだ。そのトリッキーな展開自体には本読みとしては魅了されずにはいられないが、しかし、読むことに対する痛みはあるのだ。だから手放しで満足を得られることができなかった、ということなのだ。
実は作者はそのような不幸性を意識しているのかもしれない。冒頭、そして巻末に書かれた「この作品の制作において生き物は死んではいません」という記載は、作中、重要なファクターとなる動物虐待についてのフォローとして書かれた映画のパロディであると同時に、実は、小説自体がフィクションであって、人間も含めて動物は創造の産物である、だから、必要以上に悲しむことはないのだ、ということを伝えようとしてるのではなかろうか。と自分は読み取った。うがちすぎかもしれないが、そうやって自分は浄化したさせていただいた。
ともあれ、物語としてはやはり一級である。どう読み取るかは、読む側の自由であり、不自由であるのだろう。
アヒルと鴨のコインロッカー 著者:伊坂 幸太郎 |
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