戦う司書と荒縄の姫君
とりあえず一区切りということで全体を見返してみると、当初、「恋する爆弾」において、ジョジョ的超人バトル物語のフォーマットで時間テーマ的なラブストーリーという叙情を切りだされたせいで、それが本質なのかと思ってしまったのだが、1冊目はやはりイレギュラー的な作品で、この物語の本質は、叙情ではなく叙事であった。
その後、やっぱり普通の超人バトルかよ、と思ったところもありはしたのだけれど、実はそれもまたミスリードでだったことに気づく。まあ表面的な表現は超人同士のバトルではあるのだけれど、実際に描きたいのは「超人」ではない。組織間の戦いである。そして組織間の戦いは個々の戦闘ではなく、いかに仕掛けを構築していくかであり、それらをいかに回避し出し抜いていくかである。云い換えると、身体等の動きを文章でトレースするのではなく、トラップ(伏線)とその結果を描く、つまりは物語そのものを語ることに他ならない。つまりはストーリーテラーとして普通に当然のことをしているということなのだが、実際それが行なわれていない作品も多く、だからこそ際立っているのだと思う。
世界観の面白さとして、異世界でありながら適度に発達した文明という、ないわけではないがあまりポピュラーではないユニークな世界、そしてその根幹にある「本」。この独創においておそらく、他のライトノベルの追随を許していないと自分は思う。まあ本の設定については、前作「追想の魔女」で指摘したとおり、ヘンに入れ子構造をつくり配置を誤ると時性体を混乱させてしまうことと、真相は実はこうだったという過去を単に提示することに終始してしまうという、ふたつの危険性を孕んでいる。今のところ大きな失着はないので、さほど心配はしていないが、ともあれ新たなアイディアを自在に使うためにはもう一工夫ほしいかなといったところだろう。
読んでいていつも頭の片隅に想い描かれていたのは実は「ジャイアントロボ・ジ・アニメーション」なのであった。武装司書と新溺教団との最後の戦いという全編クライマックス構造と、バカバカしいまでの超人能力(今回はくじら使いボンボにビックリした)の設定に、かなり近しいものを感じている。いずれの作品も、ありそうでない作風。という点でも似ているのかもしれない。
ともあれ。主要な人物が入れ替って(?)繰り広げられるであろう新展開の次巻。非常に楽しみである。
戦う司書と荒縄の姫君 著者:山形 石雄 |
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