こどものじかん(3)
勝手に告白するが、自分は他人と接触するのが実はかなり苦手なのである。握手などは本当に嫌いなのである。自己のガードが堅いのだろう。たぶん。
それとは矛盾するのかもしれないし、だからこそなのかもしれないが、心を許した相手に対しては、かなりの甘えん坊将軍になってしまうのだった(あ、もちろん、異性に対して、だ)。最近のテクニカルタームでいえば、なんのことはないツンデレ? まあそんなカテゴライズはどーでもいい。
甘えるということについても、色々あると思うが、特に、肌と肌が触れ合うスキンシップが大好きなのだ。抱き合う愉しさ気持ちよさというものは、確かにある。と声を大にして訴えたい。それも、服の上からなどではなく、直接触れ合うことの心地よさ、気持ちよさは、多分、誰しもが経験していることだとは思うが、そこに無条件の楽園が存在するといっても過言ではないと思う。
生物的に考えれば、皮膚には多くの感覚細胞があって、それらが触れ合うことによって得られる刺激が、交感神経と副交感神経をともに刺激して、興奮と弛緩を共存させる状態になっているから心地いいのだろうか、とか、勝手な素人考えを巡らせたりもするが、原理や理屈などは実はどうでもよくて、そこにある安心感と高揚感は何者は変えがたい、だからこそスキンシップの必要性や重要性が昔からいわれているのだ。当然だろう。と、思う次第である。
だから、性的な意味ではなく(あってもいいけど)、裸で抱き合うということは実はそれだけで意味があるし、必要があるのだよ。とそんなことを、本巻の中のヒトコマを見て思うのでありましたとさ。
ストーリーとしては、まあ展開があるようなないような。DTだっていいじゃない!! と応援してみたり? でも宝院先生がいるからいーじゃねーか、ふざけんな! と勝手に憤ってみたり? 自分こそDTパワー炸裂だってことですかねぇ。トホホ。
こどものじかん 3 (3) 著者:私屋 カヲル |
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