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2007年4月 1日 (日)

我が肉に群れ集い喰らえ

自他ともに認める(いや認められても困るのだが)エロヲヤジである自分は、もちろんR18マンガも読みますとも。筋金入りですとも。と云っておきながら、実際には新刊即買を決めているマンガ家はかなり少ないのです。具体的には2名しかいません。その一人が、水無月十三なのです。

マンガは多かれ少なかれ特化された文法によって描かれています。実体をマンガという絵に変換するのは、単なるデッサンでは成立しません。マンガ絵としての翻訳作業をする必要があるのです。その技法については過去様々な作家が見い出し、そして今もまた見い出され続けているのです。
R18系についてもしかりで、顔、胸、秘所、諸々の身体を表現する場合にも、実際の人間を紙上に落としこむだけではなく、意識的あるいは無意識的に過去より蓄積されてきた文法記号によって表現されるのです。例えば、胸が揺れる表現として乳首のトーンをずらし残像として描く。とか、そういった動作表現は顕著な例でしょう。
裸という立像は明確な区切りがなくグラデーションによって立体として認識されます。これがマンガとなる場合、モノトーンで、しかも線で、裸を表現するには実はどこに線を置くのか、ということそれ自体が技術であったりします。R18マンガは、だから実は、単純な線でいかに裸をリアルに表現するかの実験場であるともいえるのです。

しかし反面、過去に現れた技巧を単純に模倣してもマンガとしては成立します。むしろそのような記号論で描いている作家のほうが多いともいえます。しかしそれは、記号であって、実像の絵ではない。そう自分は思うのです。つまり自分は、肉体としてのリアリティをシンプルに表現した、肉体が感じられる絵が好きなんですよ。水無月十三はそんな自分の要求をかなえている数少ない作家であるのです。
(ちなみに即購入しない作家にもお気に入りはいるのですが、多作家だと追いきれないんですよ、なんちゅー我儘なんだ、自分)

今回の収録作では、やはり表題作が出色の出来で、そりゃもうギュインギュインですよ。そりゃR18は所詮ヤルことを描けばいいっちゅーもんなんですけれど、多少なりともストーリー性というか、シチュエーション性というか、行為に至るまで、あるいは至った結果があるほうが渦き力は高いみたいです。まあ、そりゃあれか? 単にモロだけだとコーフンできなくなったっちゅー、つまりはヲヤジになったってことか? それはちょっとなぁ。 

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