さよなら絶望先生(7)
相変わらずの言語遊戯と思考実験に満ちた自虐的ギャグで楽しませていただいております。
マンガ家は(一部を除いて)誰しも描き続けていく中で絵柄が洗練していくもので、これは描き慣れていくということもあるだろうし、時代のニーズ/トレンドに近づいていくせいもあるだろう。久米田康司に関しても然り。特に「南国」中盤以降、どんどん絵柄が洋式美的なポップさを帯びてきて、そこに久米田絵のオリジナリティが出てきている、と自分は思っているのですね。
で。これまで、自分の絵の変化に対して作者はどれだけ自覚的かということについて、けっこう気になっていたのですが、今回、昔の絵柄という、ある意味禁断のネタを使っているのでした。なるほど。
いや、マンガ家が無自覚のままで絵柄が変化することはないとは思っていたのですが、過去の絵柄に回帰することがあるのか、あるいはできるのか、ということな気になっていたわけです。だって、自分が「今はこの絵がオレの絵である・イコール・無理せず描ける絵である」ということなわけで、それを無理に矯正することは可能なのだろうか、と思わずにはいられないでしょう。
今回、できなくはない。ということがわかって、ひとつ疑問が解けました。
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さよなら絶望先生 第7集 (7) 著者:久米田 康治 |
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