龍の館の秘密
前巻を読んだときも感じたのですが、けしてつまらなかったわけでもないし、実際面白く読みきれたのだけれど、なんとなく手放しで好きになれない。そんな隔靴掻痒的気分がつきまとうシリーズなのですよね。
それにはおそらくふたつの理由があって、ひとつは、なんといっても主人公にいまひとつ魅力を感じないところ。あまりにもおバカなのですよ。人見知りといいつつ無謀で考えなしに行動してしまうところとか、すぐに泣いて自ら解決しようとする意思が感じられないところとか、どうにも好感度が低い。脇を支える二人の友人、人脈超人のかのこや猪突猛進の直海の持つ、魅力的な破天荒さに比べ、あまりにもみるべきところがない。
別にワトソン役をきちんと果たさないといけないとは思いませんが、狂言回しにすらなっていないのがどうにも気にかかる。まあ、これはあくまでも個人的な好みの範疇の問題なので、それがいいんだ、という人もいるかもしれないけれど、しかしこれで気が殺がれてしまっているのは確かなのです。
もうひとつは、何度か言及している問題なのですが、トリックを成立させるために周辺の状況や気持ちの動きを、無理やり捻じ曲げてしまう過度の作為性について自分はかなり否定的なのですね。現実の常識からみて違和感があるからではなく、作品世界内でのリアリティを疎外する作話技術は、単に推理クイズでしかなく、物語として読ませる作品である、という前提から単純に逃げているように感じてしまう。それは嫌なのですね。
これは、パズルだから。ミステリーだから。という一言で始末していい問題ではなく、もしそういう状況を物語の中で成立させようとするなら、成立する世界観を構築すればいい。もし現実社会を模した作品であるならば、その世界観の中でのセオリーから外れるべきではないと思うのです。
云い変えると「Howdunit」や「Whodunit」と、「Whyduni」は常に並列であるべきでそれぞれ隷属すべきではない、ということです。
というわけで、以上2点のせいで、自分はこの作品に関していまひとつのめり込めなかったわけですが、これはあくまでも個人的な好みであるということは百も承知で、この点について許容できる人にとっては、軽快な青春ミステリーとして楽しめるとは思います。
ちなみに、本巻に収録されている短編については、多分に飛び道具的な設定と展開なのですが、短編であるが故にトリックのあざとらしさが緩和されていて(あるいはあざとらしさを含めて納得できる設定となっていて)、なおかつ主人公の暴走も微笑ましく、上記の個人的難点は払拭されていました。もしかするとこの作家は短編向きなのかもしれないです。
龍の館の秘密 著者:谷原 秋桜子 |
| 固定リンク
« もやしもん(4) | トップページ | 電車男 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント