« 本を読む環境について | トップページ | ポチのウィニングショット »

2007年1月19日 (金)

おんみつ蜜姫

活きのよい講談調物語、今回も絶好調。といった感じの、大ぼら時代活劇であります。お姫様の暴走っぷりが実に心地よい。基本的には古きよき(?)時代小説テイストなのですが、私服を肥やさんとする悪代官などは登場しません。物語としては実は現代的なのです。

自分は、いわゆる時代劇が嫌いです。水戸黄門や桃太郎侍なんか放送してくれるなよ、と思っています。と書くと過激発言っぽいですが、割と本気でそう考えています。
そのわけは、お話があまりにも定番お約束で発展がない。とかのマンネリ構造に対する飽きという点もあるんですが、本質的な反発は、物語の構成として、悪事の解決が巨大な権力によってのみ行われるいう点にあります。
「待ってました!的カタルシス」があるのは確かだし、だからこそ面白いというのは事実ですが、そのおかげで「問題が起こったときはエライ人が裁いてくれる」という心理的システムが、時代劇によって無意識下に根付いてしまって、ゆえに現実社会における課題解決に対して直接間接含め自ら解決する意思が働かない。端的にいえば「お上のいうことに間違いはない的思考」から発展しないのではないか、と思うのです。
もっとも、だからといって民衆の力が云々というプロレタリアート的発想も自分としては問題多々ありノーサンキューなのですが。
とりあえずそんなわけで、時代劇はよくないぞ、と。そういうことです。

そんな前置きをふまえて、この物語が面白いのは、必ずしも勧善懲悪の物語ではないという点です。国家間(藩ですが)の発展のための策謀陰謀渦巻く(?)のんきなエスピオナージ。目的達成のために悪事を働いているのではなく、権謀術数を働かせて(いないか?)、いかに出し抜くかというレベルの話ですね。だから暴れん坊将軍吉宗をはじめとする殿様連中も皆、けっこう打算的で計算高いわけですが、といって悪人ではないというところが面白い。あえていうなら尾張徳川が悪役なんですが、表にゃ出てこないしね。
しかもそれがストラテジー的ではなく、あくまでも活劇というベースで描かれているのがよいのですな。

ちゅーわけで、先に書いたような時代劇への不満は、あまり感じることもあかったというわけです。
と、屁理屈をこねてみましたが、要はあくまでもお姫様活劇として単純に面白かったということが云いたかったわけですよ。猫も大活躍だしね(ポイントはそこか!?)。次巻もご期待ですよ。

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ←CLICK!

おんみつ蜜姫 Book おんみつ蜜姫

著者:米村 圭伍
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« 本を読む環境について | トップページ | ポチのウィニングショット »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: おんみつ蜜姫:

« 本を読む環境について | トップページ | ポチのウィニングショット »