夜は短し歩けよ乙女
野に咲く可憐なる花を見よ。
その花を手に入れんとすべきか、はたまた見つめたるのみで由と納得でき得るのか。我が脳中に渦巻く煩悩は、かくなる単純明快にして高邁深遠なる男女の命題に対して答えを見出すことができないでいるのである。否! あえて目を背けているのである。確たる根拠なく突撃ししかる後に撃退されることこそ人生への敗北。暴挙である。もちろん我が人生において勝利を収めたなどという誇らしげな記憶はない。だが、それは敗北に慣れたということと同義ではないのだ。
日々の生活は日常ではある。しかし振返ってみよ。酒精溢れる夜にて、物欲にまみれる市場にて、喧騒と暴走の学園祭にて、日常は非日常とともにあるのだ。いや、非日常とは自ら見出すべきもの、そこに彼の乙女がいることこそ我が非日常にして日常ではあるまいか。
所詮、妄想するリビドーと暴走するルサンチマンに彩られた我が半生を顧みるに、直接対決にはまだ早いのである、と。まずは婉曲かつ間接にことを進め、さらに距離を縮めていくことこそが勝利への近道である、と。具体的には、自分のことを意識してもらおう、と。ああ、なんと長期的展望に基づく戦略であろうか。
いやそれはかえって怪しげなる行為にはなってしまわないか。間違った方向へ失踪しているのではないか。常に、検証、常に反省。かようにして修正。ああ、人の心は判らない。自分の心も判るまい。なむなむ!
と、そんな物語である。
ジャンルとしては「文化際の前日小説」。(概念としての)おまつりの楽しさ、高揚感、幻想感(嘘くささとも云う)、が詰まっている。もちろん愛もね。
「おともだちパンチ」とか「ロマンチックエンジン」などの妄想造語も楽しい、DTマインド溢れる文章でつづられた愛と戦いの記録は実に愛おしく、かつ馬鹿バカしく、かつ羨ましいのであった。結果、大団円となることについて内心では賛否両論ではるのだが、ともあれ。必見、必読。
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