注意! 文中に物語の根幹に関わる記述があるかも。
眼球抉子シリーズ完結。
最終巻は物語としてすべての決着をつけるために、かなり書き急いだ感もあり、正直、状況把握が厳しい印象は否めない。世界の終わり的状況であり、カタストロフを向かえているイメージは伝わるのだけれど、それはイメージとして、であり、具体的な状況として伝わることとは別なのだと思う。
これは自分の読み込みの足りなさかもしれないが、前作での状況(破壊の程度)が街という単位だったような印象がある。それが今回、いきなり世界(より具体的には、地理的な世界であり、人類という世界)の終わりといわれても、その「世界」の示すスケールに認識が追いついていないのだ。
前巻までに展開されていた、いわゆる異能超人戦闘小説というフォーマットは、(集団も含め)個対個であったわけだが、これは対世界を意味してはいない。つまり個のレベルから今回いきなり世界レベルへ作品を読む側の把握範囲が広がってしまったというギャップが、端折ってる感になっているのではなかろうか。
(実のところ、≪身の丈環境=世界≫という図式は、ライトノベルのメインストリームであるセカイ系そのものである。この寓話の根幹は、自己が認識し得る範囲をセカイとするという神の物語そのものであり、ゆえに本作は意図的に構造されたセカイ系小説なのである)
閑話休題。本巻単位では、そんな印象なのだが、それはそれとしてシリーズ全体として捉えた場合、環境設定としての終末神話は、実は、物語の根幹テーマではないのであった。本当のテーマは、あくまでも「生きることに対する意思とは。覚悟とは」。
クライマックスで語られる、この物語の真相である「胡蝶の夢モチーフ」は(まあ、今となってはよくあるテーマであり、驚くべきものでもないのだけれど)驚愕の事実などというものではなく、それをふまえ、世界は(あるいは、お前は)どう生きていくのか、あるいは生きていかないのか、ということが語られているのである。そこに作者の真摯な想いが表れているように思った。これは作者日日日の一連の純文学に描かれているテーマそのものであろう。
いろんな意味において、やはり全体的に若書きかなぁ、という気持ちもあるが、物語としてケリがついたことと、そこに込められた想いに対してひとまず拍手を送りたい。
ところで、今回読んで思ったのだが、作者が意図しているか否かは判らないが、「神と悪魔(本作では化け物)の戦いによる終末」という本作の展開フォーマットについて、デビルマンを連想せずにはいられない。もっとも、これはエピゴーネンであるとか再生産作品であるとかそういう問題ではなく、オリジナルとその後に続く類似作品たちによって繰り返し語られることによって、すでにひとつの物語ジャンルになっている、現在の日本のサブカルシャーリテラシーとして存在しているものなのだろう、と考えている。実は、そういった「以前・以後」という分岐点的作品となってしまった作品のひとつに「JOJO」などがあったりするのだが、このようなメルクマール存在問題については、感想文内ではなく、いつかどこかできっちりと検証したいと思う。
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