ジョン平とぼくと2 ジョン平と去っていった猫
自分がこの物語を気に入っている一番の要素は何か? と考えたとき、一番最初に思いつくのは、語り口の端正さではないか、と思うのだった。言葉の選び方が実に冷静かつ客観的で論理的。それは1作目のときから感じていたのだけれど、その印象は今回も変わらない。だからといって話がエモーショナルにあらず、ということではない。実際、今回の物語は実に、実に、せつない。
自分は、単純な別離というシチュエーションに対して泣きツボを感じない。もともと人はうつろうモノであり、例えば、死別という圧倒的に永遠の別離というレベルから、行き違いによる物別れまで、様々なシチュエーションがあるが、しかしそれは果たして悲しいものなのか? と思うのだ。
人はしょせん独りぼっちでしかない。だから安直な別れについて「悲しい」「泣ける」というのは、あまりにも安易な欺瞞と憐憫でしかないだろうに、と思う。悲しみなんかないだろう、と思っている。
だからこそ。
逆説的に、自分は、別れてなお想いが残る。つながりが残る。そういうシチュエーションにこそ涙するのだ。別れること自体が当たり前で普通にあり、そして、心のつながりなど実際にはあり得ない事が前提だからこそ、そうではないのだ。人はつながってるのだ。という「奇跡」があるという「幻想」に心を動かされるのだろう。
いや。自分はそういうことを云いたかったのではないのだ。この物語が、いかにシンプルな結びつきの物語であるのかということがいいたかっただけのだ。
おそらく、人間と使い魔という絶対的(?)な結びつきのある関係からできている物語だからこそ、関係性を意識せざるを得ない構成なのだろうなぁ。などと、そんな一歩引いた感想を持ちつつも、もっと単純に、「ああ。なんてせつなくて美しいおわりかたなんだろう」とそういうシンプルな感想を伝えたかっただけなのだ。
そりゃ、あんた、単に猫好きだからそう思っただけじゃないの。という自分へのツッコミもいれつつ。
ジョン平とぼくと2 ジョン平と去っていった猫 著者:大西 科学 |
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