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2006年7月16日 (日)

さよなら妖精

注意! 本文中に作品の本質に対する言及があります。

確かに面白かったのだが、世間で云われている程には感情を揺り動かされることはなかった。

多分、この話の泣かせのキモとしては、ヒロイン、マーヤの死によって訪れる主人公守屋が取り返すことのできない別離にあるのだろう。しかし、まず冒頭で「母国がユーゴである」と紹介された時点でそこにある悲劇は前提となっていること、そして、自分にとっては死は悲劇のツールにはならないこと(死それ自体は別に悲しくないし、泣けない)、そしてだから、マーヤというキャラクターに対して思い入れが抱けなかったのだ。だからそれで? という感じで最後まで読んでしまったため、切なさとか悲しさとか、そういう叙情的な感情の動きを得ることができなかったのだ。

で、そんな余条件を差っ引いてしまえば、この物語のもっとも大きな謎となる「マーヤの母国はどこか」に対する追求の有様は、なんのことはない与えられた言葉から選択肢をロジカルに除外していくというパズラーなのである。ひねくれた見かたをするならば、パズル系本格ミステリーをいい話風に仕上げるために死というイベントを導入したというイヤラシイ話といってしまうこともでき、「これは作り込んでいるだけなのだなぁ」と醒めてしまった、ともいえる。

それがいい読み方なのかは別にして(いや多分、悪い読み方だろうとは思うが)、それがこの作品に対する自分の思いである。もちろん、人物造形もエピソードも見事でリーダビリティが高く、本として楽しめたのだけれど、感情的にはそんな感じであった。

それにしても米澤穂信作品には、登場人物が「観察者(傍観者)」であることに対しての自己卑下的な設定が多い。探偵役は必然に観察者でなければならないという構造的な設定と、物語(あるいは人生)のなかでの他者への関わりあいへの義務(欲求)の相克からきているのだろうか。
しかし、自分は観察者であることに対してなんら不満もないし、むしろそうありたい、他人に関わりあいたいとは思っていないので(よく人と出会うことが好きですなどと云う奴が多いがそのなんと偽善的なことか)、なんでそんなことで悩むか? と思わずにはいられない。まあ若さ故の悩みなのだろうかね。

さよなら妖精 Book さよなら妖精

著者:米澤 穂信
販売元:東京創元社
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