ウェイズ事件簿
よく言えば過不足なく安定感のある話、有体に言えばよくある話。である。出来が悪いというわけではないのだが、どこかで読んだことのあるような印象がある。いや、どこかで遊んだことのある話、のほうが感覚的には近しいな。要するに思いきりベタなRPGファンタジーなのである。自分としてはタイトルから勝手に「ファンタジー設定で、推理探偵モノかしら」と想像してたので、ちょっと肩透かしを食らった感じ。
でもって、このジャンルに対しての満足閾値はモーレツに高いのよ、オレ。だから重箱の隅を突くようにチェックすると、だね。
その1 登場人物の名前に必ずラ行音が入るのはいかにもでダサい(=ネーミングには世界観が反映するべき。単なるファンタジーっぽいからという雰囲気でつけるとこうなる)。
その2 科白まわしがいかにもアニメやゲームのそれでリアリティがない(=現実世界ではあんなにひとり言をいう人間はいない。文章力が甘い)。
その3 エルフやドワーフをなんのてらいもなく登場させるのは安直(=ファンタジーは自由な世界の構築こそが真骨頂であるべき。既存の設定を流用するのはそれを放棄している)。
もっといろいろあるが、とりあえず典型的なパターンとして3つあげてみた。まあ、これはこの話だけじゃなくてライトノベルにおけるファンタジー全般に云える構造欠陥ではあるのだが。
自分はファンタジーはオリジナルの世界、独創的な世界観を提示していくものであるべしという意見の持ち主なので、不必要に厳しい見かたをしているでしょ、と云われればそのとおり。別の見かたをすればヒロイックファンタジー小説の王道ではあるわけで、そこらへんは好みの問題であり、人それぞれなんだろうな、とは思います。
ウェイズ事件簿 暗き影は陽の下に 著者:神代 創 |
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コメント
敢えて言わせてもらえば、
「ある年のサッカーユーゴスラヴィア代表なんて
全員スキーがつくんだけどどうなの」
ラ行音が「だれそれの息子」「どこそこの村の」をあらわす
接頭辞・接尾辞とかだと、
統一された世界観の設定と考えられる、とかいって、
読んでないのでなんとも言えんが、紹介読む限りではそこまで
考えてなさそうだね。
投稿: 長丼 | 2006年2月 7日 (火) 19時10分
>>「ある年のサッカーユーゴスラヴィア代表なんて
>>全員スキーがつくんだけどどうなの」
「全員ヴィッチがつく」の間違いですね。失礼。
投稿: 長丼 | 2006年2月 8日 (水) 09時51分
まさにそのとおりで、新たな独自の世界観の設定として機能しているのであれば、むしろ大歓迎なんですけれどねぇ。
トールキンのすごさは、まさにそこで新しい神話をつくる際に、言語学的な設定を重視したことにあると思うのです(本当は逆で言語学研究の一環として物語がある、なんですけれどね)。
まあ、エンタテイメントライトノベルにそこまで期待するのはお門違いなんでしょうなぁ。
投稿: 管理人 | 2006年2月 8日 (水) 12時32分